京都大学みさき臨海研究所特別報告別冊
Misaki Marine Biological Institute Kyoto University Special Report
No.4, pp.1〜95 June 10, 1968
中村泉・岩井保・松原喜代松:カジキ類の分類学的研究
NAKAMURA, I., T. IWAI K. MATSUBARA: A Review of the Sailfish, Spearfish, Marlin and Swordfish of the World
バショウカジキIstiophorus platypterus (SHAW and NODDER)
東インド洋産の標本にBROUSSONET(1786)はVoilierと言う名を与えたが、彼は二名式の学名は与えなかった。このBROUSSONETの記載と大西洋産の標本に基づいてBLOCH(1793)は Scomber gladius なる学名を記載した。しかし多くの研究者(JORDAN and EVERMANN、1926;SMITH、1949;ROSA、1950;MUNRO、1955;JONES and SILAS、1962など)によって誤ってBROUSSONETが Scomber gladius の命名者であるとされて今日に至っている。その前年にSHAW and NODDER(1792)がBROUSSONETが用いた標本に基づいて Xiphias platypterus を記載した。その後SHAW(1803)によってこの学名が用いられたのみで今日まで用いられていないので(第2表:バショウカジキの学名の変遷)、この学名は遺失名( nomen oblitum )に該当する。このころまではバショウカジキは単にメカジキに近いものとか広義のサバ型魚類に入るものとして Xiphias や Scomber などの属に入れられていたが、LACÉPÈDE(1803)はインド洋のバショウカジキに対して Istiophorus gladifer という学名を与えた。
その後CUVIER(1831)が Istiophorus を Histiophorus に改めた。以後バショウカジキ属の属名として Istiophorus と Histiophorus を用いる研究者が相半ばしているという状態である(第2表)。その間に属名としてHERMANN(1804)によって Notistium 、SWAINSON(1838)によって Zanclurus などの属が設けられたが、これらはほとんど認められていない。大きな帆状の背鰭やその上に現われる斑点、体色および体側上の斑点、各鰭の長さや形態などの単に個体変異にすぎないと考えられる差異により、多くの新種が各地で続々と発表され、本種の学名の使用は混乱するばかりであった(第2表)。RÜPPELL(1835)が紅海のものを Histiophorus immaculatus 、TEMMINCK and SCHLEGEL(1842)が日本のものを Histiophorus orientalis 、CASTELNAU(1861)がケープタウン付近のものを Histiophorus glanulifer 、BLEEKER(1873)が中国のものを Istiophorus dubius としてそれぞれ発表した。そしてJORDAN and EVERMANN(1926)は紅海・インド洋・東太平洋・ハワイ・日本の各地のものをそれぞれ別種とし、合計5種のバショウカジキを認めた。LA MONTE and MARCY(1941)およびROSA(1950)はインド・太平洋を通じて4種のバショウカジキを認めている。ROBINS and DE SYLVA(1960)やMORROW(1962b)などは全世界に数種類のバショウカジキが存在すると想定していた。
最近ではインド・太平洋を通じて1種(JONES and SILAS、1962;YABE and UEYANAGI、1962;上柳、1963a、1963bなど)を認める研究者もあるが、必ずしも統一した見解が出されていない。TINSLEY(1964)はインド洋の Istiophorus gladius 、西太平洋の I. orientalis 、東太平洋の I. greyi をそれぞれバショウカジキの疑問種として挙げ、インド・太平洋のものに対し共通の1種、I. gladius を適用するのが妥当であるが、なお検討を要するとしている。WHITEHEAD(1964)はBROUSSONET(1786)の記載は二名法に基づいていないので無効であるとした。また彼はBLOCH(1793)の原記載になっている Scomber gladius は現在別種とされているインド洋のバショウカジキと大西洋のニシバショウカジキとをもとにして命名されたし、また彼の図は粗雑でしかもその魚は尾部に一つの尾柄隆起しか有しないことなどからこの種類を認めえないとした。そしてさらに彼は長年遺失名とされていたSHAW and NODDER(1792)の Xiphias platypterus を認めるべきであるとして、Istiophorus platypterus (SHAW and NODDER)を採用すべきむねを動物学種名公認表(Official List of Specific Names in Zoology)に提唱した。この見解に対してROBINS>(1965)はいくらかの条件をあげて賛成している。
日本近海のバショウカジキに対してTEMMINCK and SCHLEGEL(1842)が Histiophorus orientalis を創設して以来、この学名を適用している研究者が多い(RICHARDSON、1846;JORDAN、TANAKA and SNYDER、1913;田中、1936;蒲原、1941;BOESMAN、1947;蒲原、1950、1955;松原、1955;冨山・阿部・時岡、1958;阿部、1963;三谷、1965など)。属名 Histiophorus が Istiophorus に変えて用いられている場合も多い(田中、1921;宇井、1923;JORDAN and HUBBS、1925;岡田・内田・松原、1935;岡田・松原、1938;中村、1949、1951;田中・阿部、1955;KAMOHARA、1964など)。JORDAN and THOMPSON(1914)は神戸からえたバショウカジキに対し Istiophorus japonicus を適用した。
●種の記載 記載は成魚について行なった。この類は成長に伴う形態の変化がいちじるしいので、稚仔魚についての詳しいことはそれぞれの種の記載のところに主な文献をあげたので、それらを参照されたい。稚仔魚についての総括的な研究はJONES and KUMARAN(1962a)、UEYANAGI(1962b)、上柳(1963a)などによってなされた。
第1図
マカジキ科魚類の鱗の配列の模式図。
A. バショウカジキ(成魚) Istiophorus platypterus
B. バショウカジキ(若魚)Istiophorus Platypterus
C. ニシバショウカジキIstiophorus albicans
D. フウライカジキTetrapturus angustirostris
E・F. クチナガフウライTetrapturus pfluegeri
G. ニシマカジキ Tetrapturus albidus
H. マカジキ(成魚)Tetrapturus audax
I. マカジキ(若魚)Tetrapturus audax
J. クロカジキ Makaira mazara
K. ニシクロカジキ Makaira nigricans
L. シロカジキ Makaira indica。
第7図
カジキ類の中央部脊椎骨の模式図。側面図および腹面図。腹面図は翼状突起の発達の様子を示す。
A. メカジキ Xiphias gladius B. バショウカジキ Istiophorus platypterus C. ニシバショウカジキ Istiophorus albicans D. フウライカジキ Tetrapturus angustirostris E. クチナガフウライ Tetrapturus pfluegeri F. ニシマカジキ Tetrapturus albidus G. マカジキ Tetrapturus audax H. クロカジキ Makaira mazara I. ニシクロカジキ Makaira nigricans J. シロカジキ Makaira indica
分布 本種はインド・太平洋の熱帯・亜熱帯・温帯域に広く分布する。沿岸海域を回遊する傾向が強く、洋心部で漁獲されることは少ない。ニューギニア近海、ソロモン群島、フィリピン近海から日本近海にかけての黒潮流域、およびメキシコ太平洋岸などはバショウカジキ群の回遊域として知られている。オーストラリア・タヒチ・ハワイなどにも本種の回遊が見られるが、南米太平洋岸にはほとんど本種の回遊が見られない。インド沿岸、セイロン近海にも多くのバショウカジキの回遊が見られる。JONES and SILAS(1962)はインド沿岸で漁獲されるカジキ類のうち本種が最も多いと述べている。日本海へも毎年秋になると対馬暖流に乗って回遊してきて、しばしば沿岸の定置網で漁獲される。
本種の仔魚はフィリピンから南日本にかけての黒潮流域やバンダ・フロレス海およびサンゴ海などで多く採集されている(UEYANAGI、1962b)。また北西太平洋の熱帯域からもかなり採集されている(JONES and KUMARAN、1962b;UEYANAGI、1962b)。インド洋では本種の仔魚はスマトラ島の西側、インド西岸およびマダガスカル近海で採集されている(JONES and KUMARAN、1962b)。
BEN-TUBIA(1953)は本種の若魚をイスラエルのハイファからえられたと報告し、それはスエズ運河を通って地中海へ入ったと考えた。TORTONESE(1961、1964)も本種がスエズ運河を通って地中海へ侵入したのであろうと考えている。