第三回:日本の資源管理制度(その2)
前回は、日本の漁業制度・資源管理制度の歴史的変遷について、明治19(西暦1886)年の漁業組合準則までの経緯をご紹介しました。そのポイントは、明治維新後政府は欧米型の資源管理制度を導入したものの失敗に終わり、日本型の制度へと回帰したということです。制度の移植は必ずしも成功しないということです。
今回は、明治時代の漁業を取り巻く社会環境と、その下で成立した日本初の漁業法(明治漁業法)、そして第二次世界大戦後GHQの管理下で成立した現行漁業法をご紹介します。次回からは、こうした日本の資源管理制度の特徴を海外との比較によって明らかにしたいと思います。その後、レジャーとしての釣りは現在日本でどのような位置にあるのか、今後どう発展していくことが可能なのか、またどのような責任があるのかについて考えてみたいと思います。
漁業技術の進化と欧米列強の脅威
欧米の帝国主義列強諸国の植民地支配がアジア近隣諸国にまで達していた当時は、富国強兵・殖産興業政策が明治政府の最重要政策課題の一つとされていました。その中軸は近代的工業化政策でしたが、そのための設備や原材料、技術は先進西欧諸国からの輸入に頼らざるを得なかったため、不平等条約に苦しむ当時の日本は輸入超過が構造化していました。こうした状況下で、水産物は生糸・茶・米と並ぶ重要輸出品目でした。よって国家政策として盛んに水産振興策が採られています。例えば当時ウィーン、フィラデルフィア、パリ等で開催された万国博覧会には西郷従道、松方正義、品川弥次郎など政府要人が赴いて各種の漁業技術を日本に導入しています。明治16年以降には国内水産博覧会の開催や地方巡回教師の派遣などをおこない、積極的に新技術の普及を図っています。
特に明治20年代以降、技術進歩として影響の大きかったものに綿網の開発・普及があります。綿網は従来の麻網に比べ、糸質がやわらかいので網に入った魚が驚いて逃げる率も低く、また魚体の破損も少ない、網の腐敗が少ない、染めやすい、価格が安くしかも軽量である、などの点で優れていました。さらに明治30年代になると、動力船の普及や船体の改良なども進みました。その結果、生産力が飛躍的に向上すると共に再び全国で乱獲・紛争が頻発しました。しかし、各海域の漁業者らによる自主的管理に期待した漁業組合準則は、特に県境における紛争の解決には全く無力であったといわれています。こうした社会的背景をうけて、国家的に統一された法律の必要性が叫ばれ、旧唐津藩士の貴族院議員村田保を中心に、漁業法の立案と遠洋漁業の振興策がとられることになりました。
遠洋漁業振興の目的は、過剰な漁民人口の雇用確保と、未利用資源の開発により輸出を拡大することにありました。またその背後には、当時日本の近海で盛んに哺乳類を採っていた欧米の大型漁船が、軍事・国防上も大きな懸念材料となっていたこともありました。奨励策の内容としては、機船トロール漁業と一本釣り漁業を中心に奨励金が公布されています。(しかしトロール漁業は明治末期には沿岸漁業との衝突が激しくなり、以西海域へと進展していくことになります)。
明治漁業法
明治34(西暦1901年)、日本最初の漁業法(明治漁業法)が制定されます。ここで「漁業ヲ為スノ権利」として始めて漁業権が明文化されました。漁業権には定置漁業権(定置網漁業)、区画漁業権(養殖漁業)、特別漁業権(イルカ漁、捕鯨など)、専用漁業権(地先水面の全面的な漁業権)の4種類が設定されました。それ以外の漁業は当初は全て自由漁業とされていましたが、後に許可制に変わっていきます。
この法律は、江戸時代から続く地域漁民による漁場利用の仕組みを近代法的枠組みに取り入れた、日本で唯一の独自法と言われています。近代法的枠組みというのは、近代市民法としての性格、すなわち、財産権の絶対性・私的自治(自由主義)・過失責任、の三原則に基づく法律であるということを意味します。事実、明治漁業法における漁業権は相続・共有・貸付が可能であり、いわゆる財産権としての性格が非常に強いものでした。後に日露戦争を経て日本の帝国主義・資本主義が進展していく中で行われた明治43(西暦1910)年の改正では、漁業権は物権とされ、また担保に入れることを可能とするなど、財産権としての性格は一層強化されていきました。
しかし、こうした私権的な財産権としての漁業権の性質は、沿岸漁場の排他的な私的所有を引き起こしました。つまり、漁業権を持っている人があたかも沿岸海面を自分の土地と同様に自由に使い、支配し、また処分するようになったのです。また、貸付けや担保可能性により、漁業権は少数の手に集中してしまいました。その結果、実質的に沿岸海域は少数の大漁業権者(その多くは漁業者ではなく、不在地主のように権利だけを持っていて、本業は貸金業や魚介類の買取業者である場合が多かった)により分割的に所有されてしまったのです。
海の資源は変動します。海の環境も変動しますし、また上述のように技術も進歩します。そして多くの魚は、人間の決めた漁業権などお構いなしに広い水域を回遊します。よって本来は、資源・環境・技術上の変化や対象資源の生態に応じて、人による資源の利用も順次適応していかなければなりません。その際には全体的・広域的な視点から各種の操業を調整することが重要です。しかし、分割的に私的所有されてしまった沿岸ではそのような柔軟な対応は出来ませんでした。少数の漁業権者に独占されてしまった沿岸海域では漁業の操業は固定化し、また漁業権をもたない漁民は水飲み百姓のように、貧困にあえぐ生活を強いられていたのです。
戦後漁業改革
第二次世界大戦が終わり連合国軍による占領が始まると、GHQ(連合国軍総司令部)の強い影響下で農地改革が行われ、続いて漁業制度改革が行われました。そして昭和24(1949年)に制定されたのが、現在の漁業法です。この法律の目的(漁業法の第一条)は、漁業者らを主体とする漁業調整機構の運用によって水面を総合的に利用し,漁業生産力を発展させると共に漁業の民主化を達成することです。
ではこの「漁業生産力の発展」とは何を意味するのでしょうか。当時の日本政府の資料をみると、漁業改革の目標が明記されています。それは、当時最大の国内問題であった食料不足に対応することと、漁民の経営を改善することです。そしてこの目標を達成するために、「乱獲にならない程度に漁獲してしかも現在以上の漁獲高を挙げること」、すなわち「水産動植物の繁殖保護」を通じて漁業生産を改善するという方針が示されています。つまり、漁業法第一条にある「漁業生産力の発展」というのは、水産動植物の保護・培養を通じた持続的漁獲の増加により、個々の漁業者らの労働生産性を上げることを意味しているのです。
ではこの「漁業生産力の発展」は一体どのようにして達成され得るのか、その具体的方法が「水面の総合的利用」という考え方です。これは水面の物理的特性、いわば、土地利用と水面利用の本質的な違いに着目しています。
水面は立体的・重複的利用が可能です。また、一つの漁業の操業は、本質的に必ず他の漁業に影響を及ぼします。それゆえ、水面を土地のように区画して分割所有させる方法は不適切であるとし、一定の水面に多種多様の漁業を包摂していくべきとする考え方です。つまり、欧米のような、あるいは明治初期のような、海面借区制や漁場主義(魚種漁法を制限しない無制限主義)に基づく漁業権や漁業許可を設定せず、魚種・漁法を限って漁業権・許可を設定したのです。法学的には、制限主義に基づく特許・許可として捉えられますが、簡単に言えばいわゆる「かんむり漁業」といわれる考え方です。また、海況・漁況の変化や技術の進歩に柔軟に対応するために、漁業権・許可の存続期間(5年または10年)を定め、定期的な漁場利用の見直しを可能としました。
では、全体的・広域的な見地からの調整はどのように行うのでしょうか?その中心的役目を担うのが、各海区の漁業調整委員会です。漁業権の免許は、漁業調整委員会が策定する漁場計画に沿って行われるのです。漁場計画では、資源を持続的に利用するために、個々の漁業者の漁獲高ではなく、一定水面全体の総漁獲高の増加を目的とした計画を立てます。そしてこの漁業調整委員会の過半数は、民主的選挙によって選出された漁業者らの代表によって構成されています。つまり現在の漁業制度では、資源管理の実質的な主体はあくまでも各地域の漁業者らであり、関係漁業者らの総意を反映して全ての漁業権が策定される仕組みとなっているのです。同様に許可漁業についても、漁業調整委員会の意見を聞いて都道府県知事が策定する漁業調整規則に基づいて手続きが行われます。
まとめ
近代国家を目指す明治時代に成立した我国最初の漁業法は、江戸時代から続く地域漁民による漁場利用の仕組みを近代法的枠組みに取り入れた、日本で唯一の独自法と言われています。しかしその漁業権は財産権的な性格が強く、沿岸資源の利用が固定化されました。また、貸付けや担保が可能であったため、沿岸漁場の独占が生じました。さらに全体的見地から漁業権の内容を調整するシステムが全く無かったため、漁業権者による恣意的な権利の行使が許されていたのです。したがって戦後の漁業制度改革では、これらの欠陥を克服することが課題となりました。これはいわば、資本主義の大前提である近代市民法的財産権の性質をあえて修正し、海という自然の性質にいかにうまく対応させていくか、そしていかに人が魚を採っていくか、という課題であったのです。
現行漁業法では、主に漁業者らによって構成される漁業調整委員会に広範な権限を認めることにより、漁業権の財産権的な性格を制限しました。また関係漁業者らの総意に基づく漁場計画・漁業調整規則により水面の立体的・重複的利用を実現し、そこでは資源の保護・培養を行うことによって持続的な漁獲を目指すという基本理念があります。いわば、日本の海の資源は漁業者らが共同で管理し、利用してきたのです。
こうした歴史的・制度的背景があって、一部の漁業者達には「おらが海」というような、海に対する特別な意識があるのではないでしょうか。特に地先の沿岸海域では、長年にわたりその資源を利用してきた地元漁業の歴史と利益をないがしろにするべきでは有りません。正当に評価し、尊重するべきだと思います。また今後深刻となるであろう食料安全保障の問題に照らしても、食料生産産業としての漁業が担っている社会的な役割は極めて重要です。
しかしながら、海は決して漁業者のものではありません。海やそこに生息する生態系は、日本国民の、ひいては人類の資産です。漁業者以外の人たちにも、海の恵みを享受する正当な権利があるのです。また同時に、海はわれわれが将来の世代に残すべき貴重な遺産です。よって漁業者以外の人たちにも、海の恵みを将来世代に引き継ぐという責任があることは言うまでもありません。 |