日米の資源管理制度の比較
これまで日本とアメリカの漁業制度や資源管理についてご紹介してきました。今回はそのまとめとして、この二つの制度を比較してみようとおもいます。
日本の制度の特徴
日本漁業には大宝律令以来1300年間にわたり「資源利用者による資源の保護・培養」という理念が貫かれており、漁獲圧調整や水産資源の保護・培養は主として漁民らにより自主的に行われてきました。その後、明治維新と欧米からの法制度導入に伴い、政府が有料ライセンスによる参入規制(借区制)を通じて総漁獲圧を管理し、資源利用者は各自の経営合理化のみを図るという、いわば欧米型の資源管理形態を試みたものの失敗に終わりました。よって政府は、漁民団体による漁業・資源管理という方針に回帰します。その後、戦後の漁業改革により現行漁業法へと至りますが、「資源利用者による資源の保護・培養」という理念は現在も依然として受け継がれています。特に自主協定による資源管理制度は行政費用の低さや柔軟性から言っても今後推進していく価値があります。
この日本の制度には資源の利用・管理に関する意思決定権限が一元的に地域漁民の共同体に委ねられているという特徴があります。また京都府のズワイガ二漁業や東海地方のイカナゴ漁業、駿河湾のサクラエビ漁業など、資源管理型漁業が成功しているとされる事例の多くでは、科学的知見が積極的に自主協定に活用されているという特徴もあります。日本の成功事例では、米国の様に科学的知見を規制行政に適用するのではなく、科学的知見を漁民が自主協定の中で活かしている点が特徴です。ただし同時に、このような地域の漁民による資源管理という構造は、反面として、よそ者を排斥する傾向が強いということも指摘できるでしょう。
アメリカの制度の特徴
アメリカの自然・国民・政府の関係を最も端的に表す理念は公共信託法理です。アメリカでは、資源管理は一般市民から信託を受けた政府の義務であり、一方で市民であれば誰でも自由に資源を利用出来るという原則から出発しています。つまり、政府による資源管理と市民一般による資源利用という二元的制度として捉えられるのです。1990年代半ばに米国において、オヒョウやタラ、ロブスター等を対象に導入された産出量規制(Total Allowable Catch: TAC方式)でも、総漁獲量については政府が資源動態モデル等に基づいてトップダウン式に設定します。またその利用・配分は自由な市場原理にまかせるという原則に基づいているため、資源利用者は専ら自己の利潤最大化に専念する傾向があります。よって漁船の過剰装備や漁獲の過少報告、密漁、混獲、低魚価時の漁獲物投棄などの問題が生じ、その取締・監視の為の行政費用が非常に大きな問題となっています(たとえばオランダでは、こうした行政費用の増大を理由として1980年代にTAC制度を廃止しています)。
日本の制度の課題
では日本型の資源管理制度にはどのような構造的欠陥があるのでしょうか? 問題として指摘されている点には、たとえば以下のようなものがあります。
1)科学的・定量的な管理概念が米国より希薄であり、又自主的資源管理も個別の魚種、特に商品価値の高い魚種を対象としたものが中心である。よって沿岸生態系全体を考慮した管理が成り立ちにくい。
2)地域漁民に資源の利用・管理に関する権限が一元的に委ねられているため、漁民以外の一般市民が参加して議論し、合意を形成する場が得られにくい。
3)資源管理が各漁業種類、漁協、又は地方行政を単位として行われていることが多く、魚種の生態と一致しない場合が多い。
4)同様に資源培養の為の放流事業に於いても、対象魚種の回遊メカニズムを考慮に入れていない。
5)漁民数に増加傾向が無くても、実質の漁獲能力は技術進歩や漁船大型化により上昇している為、資源に対する漁獲圧は過剰となっている反面、漁業を操業する地位が既得権となっており容易に減船できない。
最特に、さまざまな海の恵みを将来まで国民全員で享受していくという観点からは、1)、2)の点が重要な問題です。そして2)こそが、遊漁と漁業の間で生じる多くの問題の根本的な原因と私は考えています。よって次回以降は、この2)の問題を念頭において、沿岸での遊漁と漁業の間で生じている“具体的問題”を考えていきたいと思います。 |