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Zanzibar

ザンジバル
――スワヒリ達の海に遊ぶ。

文・写真/三峰卓哉

 
  光が色彩を増し、遠くのモスクから魂に滲み入るように流れてくるコーランの朝の祈り。身勝手な旅人は“アッラー・アクバル(アッラーは偉大なり)”と唱えるだけで、このイスラムの敬虔な空気に同化し、アッラーの加護を得ようとする。――赤道直下、南緯六度。アフリカ東海岸に浮かぶ島、ザンジバル。かつてシンドバッドの末裔達が跋扈した、黄金色の光溢れるこの海は、一日に四種のビルフィッシュを釣ることも夢ではない類稀なビルフィッシュの交易路でもある。

バガモヨ!――我が心ここに残す
紀元後一世紀に書かれたという『エリュトラー海案内記』には当時、既にアラビア人達がアフリカ東岸地帯に足を延ばし、現地の女達と姻戚関係を結び、同化していることが記されている。
アフリカ黒人が奴隷としてアラブに送られていた時代を経て、9世紀頃から16世紀頃にかけて、アフリカの東海岸には海を渡ってきたアラブ人達が彼らの町を築いた。ケニアのパテ島、ラム島、マリンディ、そしてタンザニアのペンバ島、マフィア島、キルワ島、ザンジバル島などに彼らの居留地の跡が今も残っている。それらの町は繁栄の後、廃虚と化したものもあれば、今に残るものもある。
ザンジバルは、そのかつての面影を色濃く残すエキゾチックな島だ。
スワヒリとはアラビア語の“沿岸”という言葉にその源を辿ることができる。アラブの商人たちがアフリカ大陸にわけ入り、交易するためにできた言葉がスワヒリ語だが、アフリカ東海岸のアラブの影響を受けた文化全般を表わす言葉としても使用されている。
バスコ・ダ・ガマがケニアの東海岸モンバサの北のマリンディに到着したのが1498年。しかしその80年程前には鄭和を提督とする中国の艦隊がその地を訪れている。
大航海時代は同時に、植民地化の幕開けでもあった。それはポルトガルとアラブ、アラブとイギリスの攻防の始まりでもあった。ザンジバルも当然、その歴史の中にあった。

 

“ダウ(Dhow)”と呼ばれるこの船で、スワヒリ達はインド洋からペルシア湾まで季節風の商人となる。


スワヒリの男達は航海に天賦の才を発揮する。

  ザンジバルの対岸にあるバガモヨは大陸側の奴隷積出港であったが、そこから奴隷達はザンジバルの奴隷市場に集められ、この島を中継地として各地に売られて行った。奴隷達は「バガモヨ!」と叫び海を渡ったという。その言葉は“我が心ここに残す”という意味である。そんな歴史のあれやこれやを胸に私は一人町を歩きスワヒリ達のダウに乗った。精悍な彼らの肉体と笑顔は、この海を自在に旅する男達の無邪気な自信に溢れ、彼らの言葉が耳に心地良かった。
思えば3日前、冴えわたる月明かりの下、凍える夜道を肩をすぼめて急ぎながら、その後の慌しい旅仕度と僅かな仮眠でアフリカに旅立ったことなど遠い記憶の彼方でおぼろになり、私は南緯6度、2月の光の中で心が宙に浮くのを感じた。

ペンバ・チャネル
――グランド・スラムの海

20年ほど前、ケニアの東海岸でビーチコマーを気取っていた時代があった。
モンバサ、マリンディ、ラム島といったスワヒリ達の世界で私は朦朧とした日々を過ごし、日がな一日海を見ている時もあった。訪れる人もない海岸近くのロッジで一ヶ月も前に発行された『ネイション』や『スタンダード』紙から、たどたどしい語学力で拾い上げる僅かばかりのニュースが新鮮な感慨をもたらしてくれたことを記憶している。トルコのクーデターとモイ大統領の訪中の記事で埋め尽くされたそれらの新聞は、乾燥しきったバナナの葉より頼りなく、紙面はケバ立ち、活字は同化し、消失しかかっていた。

 
ビッグゲームのタックルはペン社のものがメイン。彼らの使用ルアーはソフトヘッドのフッカーが多かった。
そんな紙面の片隅に、素晴らしいサイズのブルーマーリン(クロカジキ)やストライプ(マカジキ)、それにスワヒリ達の間ではスリスリ(Suli Suli)と呼ばれ、この海域では非常にポピュラーな魚――セイルフィッシュ(バショウカジキ)などの釣果が紹介されていることに私の目は釘付けになった。そして、タンザニアのペンバ島とザンジバル島周辺の海域がいかに魅力的な海であるかを紹介した『ペンバ・チャネル・フィッシング・クラブ』の記事が私の脳裏に刻まれて20年が過ぎたわけである。
この間、私は行き詰まったりよろめいたりする中で、当時果たせなかったザンジバル行きを想うことでアフリカの光を感じ、一人癒されていたわけである。
ザンジバルの最北の岬、ヌンギに素晴らしいリゾート地が開発されたのはごく最近のことである。ネットサーフィンでこのロッジ(Ras Nungwi)を知り、同時にペンバ・チャネル・フィッシング・クラブが今だ健在であることを知った時、私は20年前のあの新聞の片隅に見つけた記事の感動を再び想いおこしたものである。同クラブのベースは、ケニアのモンバサの南、シモニ(Shimoni)にありビッグゲームのシーズン、11月から3月にかけて彼らはザンジバルにボートを一隻待機させている。これはクラブが保有する4隻のボートのうち最も古いものでイタリア製、建造後30年を経た代物ではあるが、33フィートの老体はスワヒリのキャプテンとクルーによって的確にオペレートされている。
 
32kgのセイルフィッシュとラス・ヌンギのマネージャー達。

  ビッグゲームのタックルは全てIGFAのレギュレーションに沿っており、フライフィッシングもアレンジ可能だと彼らは言うが、少々心もとないところもある。
私は2日間ボートをチャーターし、初日はヌンギ岬のショアー近くで狙い通りセイルフィッシュを2尾釣り(最初はキープ、2尾目はリリース)、2日目はペンバ・チャネルでストライプとブルー、それにブラック(シロカジキ)のグランド・スラムを狙ったもののストライクは一度きり。ストライプとブルーが舷側2メートルほどのところまで来ること2度。それぞれが明確に識別できる状態でペアで遊泳する状況を目撃したのは、初めての経験であった。個別の遭遇は7度あったが、ベイトとなる小魚が魚探に層をなして映っていることもあってか、持参したルアーを執拗に追うことがなかったのは残念であった。次の機会はソードフィッシュ(メカジキ)の夜釣りにもチャレンジしたいと思う。
ザンジバルの海は今、目覚めたばかりである。

もう一つの旅――海・空・キリマンジャロ

ザンジバルの対岸、ダルエス・サラームにはBA(英国航空)をはじめ幾つかのエアーが就航しているが今回、私はエアー・インディー(インド航空)を選んだ。それはバスコ・ダ・ガマが辿った海を空から逆に回ろうと思ったからである(もちろん一番格安であることが最重要項目ではあったものの…)。デリー、ムンバイ(ボンベイ)を経由し、ムンバイで一泊した後、ダル・エス・サラームに向かう。そこで再びホテルで夜を過ごし、翌朝船でザンジバルに向かうのである。奴隷達が悲嘆にくれながら渡った海を、私はビールを飲みながら脳天気に渡った。

 

  ザンジバルからの帰路はナイロビまでタンザニア航空を利用し、そこから再びエアー・インディーに乗り継いだ。このルートだと下にキリマンジャロが望めるのである。もちろんヘミングウェイのあの小説をイメージしながらの旅となるわけである。
ザンジバルは別名“ストーン・タウン”とも呼ばれ、ドアにアラブの見事な彫刻を施した建物がカスバのような迷路を作り出している。かつての奴隷市場跡にはカテドラル・チャーチが建ち、奴隷達を収容した地下室も残る。一歩町を離れると、そこはクローブ(丁子)の一大産地であるこの島の緑が広がる。インド洋の貿易を一手にしようとしたオマーンのセイド・サイドは19世紀初頭からザンジバルにクローブを移植し、一大プランテーションを経営した。クローブの農園には多くの人手を必要としたため大陸から黒人奴隷をつれてきたわけである。かつては象牙や犀の角もこの島を経由して運ばれた。
市場にはさまざまな香辛料と共に色鮮やかな野菜が並ぶ。路地裏ではチャイをすすり、水パイプを楽しむイスラムの男達がいる。
ヨーロッパから来るダイバーも多いこの島だが、ダイビング・ボートは数あるものの、本格的なオフショア・トローリングのボートは先述のボート一隻のみである。ただし事前にリクエストを出しておけば、ペンバ・チャネル・フィッシング・クラブでは数杯のボートを用意することができる。その中にはフル装備のバートラムも含まれる。いつの日か再び、せめて一週間、納得の行くまでこのスワヒリ達の海でビルフィッシュを狙いたいと思う。
朝な夕なにコーランの聞こえる街角で海を見つめ、水上レストランでビールをやりながら心を海に解き放す。強烈な陽射しが白い建物とその路地の影に強烈なコントラストを与え、この陰影がなにやらストイックな心地良さを与えてくれる。子供達の原色の歓声が聞こえ、桟橋から海に飛び込む連中がいる。ふと、チャーター・ボートはこの島には一杯で充分だと思えたりする。
 
“ヌガラワ”と呼ばれるダブル・アウトリガー・カヌー。このカヌーは文化史的にも非常に興味深いものである。
釣行リポート
   
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