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IGFAルールによる与那国初の記録 |
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『ビッグゲーム・フィッシングのみならず、人生のさまざまな局面においても“バラシ”はつきものである。しかし問題はその中身である。完璧を期したタックルとラインシステム、それにアングラーとスキッパーの絶妙なテクニックをもってしても、時としてフックは外れ、大魚は海に消える。ウルトラライトのクラスだと、ウォータープレッシャーによるラインブレイクも珍しくはない。ただ、“人事を尽くして天命を待つ”ことで得られた結果(バラシ)には、「なぜだろう?」という前向きな自省は伴うものの、心は常に爽やかである。
雑誌『スポーツアングラーズ』ならぬ『スポーツアングラー』は、「1-2-0」という結果に終わり、僅か2号で夢は藻屑と消えた。大魚が海に消えたのならまだ諦めもつくが此の度の一件は、乳飲み子を荒野に置き去り、再び戦場に赴く兵の心に似て、実にやり切れないものがある。
フルシーズン・チャーターで海に出て、三度目のファイトを開始した直後、ボートに流木がぶち当たり、ライフジャケットも着けぬまま、着のみ着のまま退船を余儀無くされたような、切ない我が身に師走の風は冷たい。
ただ、ああだこうだと言ってはみても、同じく退船を余儀無くされた他のチームは今回、このPB誌を何とかサルベージ、継続させることができたことに、心からの祝福を贈りたい。 |
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広告低迷の今の時代、小部数の雑誌を創るということは実に難儀なものであるが、せちがらい師走の風に吹かれながら、今回の“バラシ”の経験を、いかに活かせるかをじっくりと考えてみたい(温かい励ましのお言葉を、編集部に寄せて頂いた読者の皆様には心より御礼申し上げます)。
人生において、その期待と局面は時として同じ場所にいないことがある。右ページの写真のように、アングラーやスキッパーの期待の先に巨魚は無く、遥か右舷にその見事なジャンプで巨躯を現したカジキに私は何やら今回の一件を重ね合わせてしまう。
ラインプレッシャーでアングラーはかなりのテンションを感じながらファイトを続けている。しかし巨魚は凝視する海面下にはいない。夢と希望の先に現実が見えず、努力はひたすらラインを巻き取ることだけである。ただしきちんとラインをトレースしていけば、必ず巨魚にまみえることができる。版元は、時には一昼夜にも及ぶビッグゲームのファイトを理解する必要がある。ファイトの継続は体力であり、雑誌継続の体力は資金力に他ならない。その資金を呼び込むための戦術が今回、私たち編集部にも足らなかったのかもしれない。
『スポーツアングラー』を購読された方々は、以前の『スポーツアングラーズ』を御存知の方も多くいて、それと同じ内容を期待された方も多かった。しかし私たちは今回、PB誌との差別化を図るためにも小型・中型艇に主力を注ぎ、その編集方針に沿って、じっくりと広く、読者と広告クライアントとの関係を築こうと考えていた。結果、それなりの手応えが出てきていた矢先ではあったが、想定外のスピードで進む版元と今般の雑誌の発注元との事由が大きなプレッシャーとなって顕在化してきた。それが先の流木の喩えである。
もしもこれがビッグゲームの専門誌であったなら、私は迷わず自社発行に切り替え、またまた大きな借財を作ったかもしれないが実際、心は半ばそちらに舵を切りそうになっていた。最終的にその暴走?に至ることを踏みとどまったのは、もしかすると今回の雑誌に対する最終的な情熱の方向性に、自身のそれをピタリと重ね合わせることができなかったのかもしれない。その心のブレは、読者に対しても広告クライアントに対しても誠に失礼なことではあるが、厳しい業界の中で、正攻法で雑誌の立ち上げを考えるうえではやむないことでもあった。
結果、今回は“コンパクト・カー”程度の損失だけが残り、かなり重苦しい気持ちで年の瀬を迎えようとしている。
「Every Day A Fiesta!」を身上に、辛い今をそれなりに楽しく生きてきた自分ではあるが、自身のつたない歩みを再考するにはまたとない機会かもしれない。
「悠々として急げ!」ではあるが、取り敢えず今夜は錦糸町にでも出かけて、ハバロフスクからの女性達と、たまにはしんみりとした雰囲気でウォッカを呷るのもいいかもしれない。 |
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