彷徨える夏 バショウカジキの5セント硬貨
Text & Photo / Yasunori Suga
翌朝、私たちはナイロビに戻り、午後、中央駅からモンバサ行きの列車に乗った。列車が走るにつれて、空気は重く、柔らかくなり、やがて暑く、湿っぽくなった。 同じケニアでありながら、内陸部の高地ナイロビと、コーストのモンバサでは、全てが異質の光を放っていた。モンバサの海にはアラブの帆船、ダウが浮かび、イスラムの活気に満ちていた。 インド洋を見おろす高級シーフードレストランで、私はナイロビでの2週間分の食費をディナーに当てた。ひと月分でもよかったが、2週間分の予算で私たちは充分に満たされた。 モンバサのオールドタウンに住む、知り合いのスワヒリに、ザンジバルまでのダウを調達してもらうつもりだ、と女は話した。合法的なものではなさそうな口ぶりではあったが、彼女には、ケニアやタンザニアの思惑や法律などは、実に無意味なものであった。
フォート・ジーザス−かれこれ5世紀も前にモンバサを占領したポルトガル人たちが築いた砦−の近くにあるオールドタウンの入り口で、翌朝、私たちは別れた。遠くのモスクから、コーランの祈りが、古い港の、既に熱い、赤錆びた空気を震わせ、女はカスバのようなひんやりとした路地裏に見えなくなった。
そう、あの日からもう1か月が経っていた。 私の体と脳味噌は海鼠のようになり、日がな1日、実に曖昧な時をやり過ごしていた。すっかり黄ばんでしまったインド更紗の、シャツの胸ポケットに入れたバショウカジキの5セント硬貨を何度も取り出しては眺め、女との想い出を反芻していた。 かけがえのない人生の大魚が、ゆっくりとインド洋の深淵に消えていくのを、茫然と見ていたような気がする。
私は、海に出ようと思った。