呻く人、ニヒルの人、笑う人。
誰がタヒチを愛したか? Gauguin, Grey, Ellacott
文・三峰卓哉
ゼーン・グレイにとってのタヒチは、格別意味のあるものではなかった。ただ、彼はタヒチを訪れる五十年程前の一八八八年、九十五フィートの優雅なスクーナーでパペーテに入港したロバート・ルイス・スティヴンスンとは、その恵まれた状況での“サウス・シーズ紀行”という一点において共通するものがある。 『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』で文名を高めた彼、スティヴンスンに米国の新聞社が一万ドルのチャーター料を支払って船を用意し“南海もの”の原稿を依頼してきたことから彼は南海に乗り出す決意を固めたわけであるが、『キャスコ号』でサンフランシスコを出帆した彼の船旅は一八九一年、サモアに居を構えるまで、ホノルルとオーストラリア間の太平洋諸島を巡る五千マイルにも及ぶものとなった。この旅はグレイの釣行と不思議と航路が重なるものである。 グレイは南の海の野生(とてつもない巨魚)を求めて旅したが、その費用の殆どを自身の印税収入で調達した。一連の釣行をフィルムに収め、後年、さまざまな釣行記を発表するが、不思議と私の胸を打つものはない。そこには釣行にかけた情熱と単純なロマンは見え隠れするものの、金にその範囲を裏付けされただけの快挙には何の感動も覚えないという単純にして冷徹な原則を思い知らされるばかりである。そして、自身の手の内を大きく離れた印税収入というものは、その金を使う側の精神を妙にニヒルにさせる何かがあるナという気配を感じ取ることができる。