The man, when young――若き日のフィジアン
コーネル大学を卒業したフィジアンが初めてハワイに魅せられたのは、海軍兵学校時代の1948年の夏のことだった。
「本土に帰るのに結局8年もかかってしまったが、その間ずっとこの愛するハワイにいつか必ず戻ってくると心に決めていた」とフィジアンは当時の心境を語った。
海軍生活の後の1年ほどをマスターズ・トーナメントの舞台として有名な「オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ」で働き、経営の実践を積んだ。1955年になると、カイルア湾のほとりのカイルア・コナといういささか活気に欠ける漁村で「コナ・イン」というホテルを1年経営した。これがフィジアンとコナとの関係の始まりであった。
その後、当時から活気のあったワイキキへ場所を移したフィジアンは、ヘンリー・カイザー所有の当時急成長していた「ハワイアン・ヴィレッジ」で重役候補として訓練を受けた。また当時は、昔ながらの「ロイヤル・ハワイアン」や「モアナ・ホテル」に対抗しようと彼らはツアー業に力を入れてもいた。
宿泊客が飛行機や船から降りると同時にハワイの風習であるレイとキスで出迎えたいと常々考えていたヘンリー・カイザーは、この企画をアシスタント・マネージャーであるピーター・フィジアンに任せたのである。 |