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HOME BIG BLUE 巨魚に魅せられた男達 BLACK BART ―そのマネージメントとハイテクニック( 1 )

はじめに

ひょんなことから、さまざまな記憶が鮮明に蘇ることがある。昨年末の我が八点鐘の事務所移転を機に、溜りに溜ったビッグゲームの資料を、さてどうしたものかと右から左に、はたまた下から上へと何の脈絡も無いままに掻き回していた時に、フト目にした資料の束があった。それは感熱紙を使っていた頃の古いファクシミリ用紙で、黄ばんで変色し、文字の判読もままならないものであったが『バート・ミラー物語/数々の記録を樹立したマーリンキラーの波乱の半生』と書かれたタイトルは何とか読み取ることができた。
ファックスの送信人は岩城寛治さん、日付は15年も前のものであった。岩城氏とはその昔、よくハワイのHIBT取材で顔をあわせた仲で、彼の野太い声でいきなり“スガちゃん!”と呼ばれたような気がしたのである。
岩城さんは1999年(平成11年)6月に癌でお亡くなりになられたが、その翌月に行なわれた“偲ぶ会”で拝見させて戴いた彼の取材記録や、小さな几帳面な字で綴られた日記の一部に思わず目頭が熱くなったことを記憶している。7月にしては爽やかな、新宿高層街の夏の昼下がりであった。
生前、九州男児の豪放磊落なイメージで岩城さんを知る人も多いが、“偲ぶ会”で知った彼の人間味に、ああもう少し語り合う時間を持てておればと悔やまれたものである。岩城さんがファックスで、当時あった『ボーティング・ワールド』という雑誌に連載していた原稿を送ってくれたのは、確かバート・ミラーに関することで、私が彼に電話したその夜のことであったと思う。

 


1984年3月14日、バート・ミラーたちによってコナ沖で記録された1649ポンド(748kg)のパシフィック・ブルー。ボートはバートの愛艇『BLACK BART』。アングラーはゲーリー・メリマン。カジキ全長/16フィート4インチ。ただしこの記録はIGFAルールの違反事項があり、IGFA記録とはなっていない。

 


バート・ミラーと岩城夫妻。1986年6月、ハワイ島ホノコハウ・ハーバーにて。
 

1970年代後半にかけて、現JGFAの岡田会長や、故大西英徳前JGFA会長をはじめとして多くの先達がハワイを訪れ、HIBT(ハワイアン・インターナショナル・ビルフィッシュ・トーナメント)の洗礼を受けることで、IGFAに繋がる多くの人々との関係を日本に持ち帰った。ビッグゲームやIGFAに対する認識はそれ以前から一部の人々の間にはあったものの、実体験から確実な手応えを伴って、自身の言葉でこの世界(ビッグゲーム)の息吹きを語れるようになったのは、我が日本においてはこの時代まで待たねばならなかったのである。1940年代のアメリカのビッグゲームの黄金時代から40年近くを経て、ようやく日本にもビッグゲーム・フィッシングの領域が形成されたのである。
バート・ミラーは、ハワイのチャーターボートを語る上でその実績、その航跡において類いまれな人物である。ある日本人との運命的な出逢いが、さらにそのことを神秘的なものにする。そしてこの時代、ビッグゲームに対する熱き情熱を持った日本人がバートのボートやテクニックを見ることで、自身のスタイルを確立していったことも事実である。
ここ2〜3年の、日本におけるカジキ釣りの好調ぶりを見るにつけ、改めてこの世界の人々の繋がりに想いを致さずにはいられない。
原稿をウェブ上で再録することに心よく御了承を戴いた岩城文子さんに深く感謝しつつ、御主人のご冥福を重ねてお祈りする次第である。

ここでは前回までの『Capt.バート・ミラー物語』に続き「往年のチャーターボート『BLACK BART』に学ぶそのマネージメントとハイテクニック」を4週にわたり紹介する。

 
平成14年7月1日
(株)八点鐘 須賀安紀
 
BLACK BART ―そのマネージメントとハイテクニック( 1 )

ハワイの伝説的名キャプテン、故ヘンリー・チーの釣果記録を破って一躍勇名をとどろかせたキャプテン、バート・ミラー。その波乱の半生については、当ウェブ『シーズン直前・週刊特別企画』で6回にわたってご紹介した。ここでは当時、初めて夢と期待の「BLACK BART」をチャーターし、「Chuck Machado's Jackpot Tournament」に出場した岩城氏の6日間の体験から、「BLACK BART」のしたたかなショービジネスとハイテクニックを紹介したい。

 
1984年3月14日、バート・ミラーたちによってコナ沖で記録された1649ポンド(748kg)のパシフィック・ブルー。ボートはバートの愛艇『BLACK BART』。アングラーはゲーリー・メリマン。カジキ全長/16フィート4インチ。ただしこの記録はIGFAルールの違反事項があり、IGFA記録とはなっていない。  

『BLACK BART』
 

最高の装備とタックル

全長41フィート6インチ(約12.65m)、エンジンはTwin 555w3 Cummins、白いFRPの船体にチーク材を敷きつめたデッキ、ウッディなキャビン…、当時、すでに築造20年という歳月が信じられない。
磨きあげられた各部の気品と風格にクルーの心意気を見た。
なかでもスタンバイした4本のロッドに輝く、白銀のリールに思わずうなった。いままでついぞお眼にかかったことのない噂のゼーン・グレイ(ZANE GREY)リールだ。
ファイティングチェアの両サイドに130Lbs、そして両舷のロッドホルダーに80Lbs、四方から威圧する重厚なメカニズムに安堵感を覚えた。

著名なアメリカの作家で、ビッグゲームフィッシングのパイオニアといわれるゼーン・グレイ(1872〜1939)にちなんだもので、英国のハーディ社(HARDY BROS. Ltd)の精巧な手造りによるという。わが国にはいままで数機ほどが輸入されているらしいが、お値段は80Lbsと130Lbsのセットで200万円はするというしろもの。黒塗りのロッドはオーストラリアの「IAN MILLER」、金箔で“BLACK BART”のサインとシンボルマーク入りの特注ものだ。ファイティングチェアも理容店の調髪台を思わせる安定感と機能性を備え、金属製のアヒ(キハダ)のデコレーションがついた豪華版だ。

 


白銀の輝き―ゼーン・グレイ

 

 
クルーはアゴヒゲに白髪も混じる中年のリチャード・フレーム、通称サドゥ。そして長身のハンサム青年、ダナ・ボードマン。
キャプテン、バート・ミラーがおもむろに紹介すると、海の荒男にしては意外に礼儀正しいていねいな挨拶が返ってきた。さすがVIPを常連としているだけのことはある。
私の気分はいっそうハワイ晴れになるが、心はさもしく動悸していた。

サインとシンボルマーク入り、特注のロッド
 

トクか? ソンか? 最高の料金

そこでいつも金銭感覚が脳神経を刺激するのが、われわれ貧乏人の習慣である。ご参考までに87年11月当時のフィッシングボートのチャーター料をご紹介しておこう。ちなみに当時のコナのフィッシングボートの1日のチャーター料は450ドル、小型ボートのなかには250ドルというのもあったが、「BLACK BART」は900ドル、さらにトーナメントともなると1000ドルなのだ。予約申込は6月から9月までは月曜から金曜までの5日間単位。日だけのチャーターは土曜か日曜だけに限るのだ。もちろん「BLACK BART」だけのシステムである。いくらバブル経済期であったとはいえ、1日1000ドル(14万円)はなんと豪華な遊びだろう。しかし極めて大ざっぱにその遊び道具(?)を日本円に換算して皮算用してみた。

ボートは中古艇であっても4000万円はくだらないだろう。家だけならそれなりの豪邸が建つ金額だ。それに附随する豪華な装備やタックルは、ほとんど日本ではお目にかかれぬしろもの、少なくとも1000万円では買えないだろう。れに“釣りの天才”、“記録男”などと異名をとるバート・ミラーの実績を付加価値としないわけにはいかない。果して1日1000ドルというチャーター料が高いか、安いか、私にはわからない。ただ私のような貧乏人がのべつ乗れるボートでないことだけははっきりしている。ここで“安いものだ”とおっしゃる方には畏敬と羨望の念を抱かざるを得ない。しかし、やたら財産をマーリンの道連れにしてしまうような愚は避けたいものだ。
裏切られても、裏切られても、またソッと出かけていく――どこか女と似たところがあるからだ。

 


ファイティングチェアーのアヒのデコレーション

 


サインとシンボルマーク入り、特注のロッド
 

釣りとマネージメントの天才!? バート・ミラー

「BLACK BART」は最高の雰囲気で、最高の装備とタックル、そしてクルーの最高の応対と最高の釣果の実績――三拍子も四拍子も揃った“最高”づくめである。この“最高”づくめがあってこそ「BLACK BART」が他のボートの倍以上の料金を堂々と頂戴する資格があるというものだ。
飛行機にファーストクラスがあるように、フィッシングボートにもファーストクラスがあってもおかしくはない。

バート・ミラーは“釣りの天才”であると同時に、マネージメントの天才でもある。
マネージメントといえば「BLACK BART」の徹底したクルーの役割分担にもそれを垣間見ることができる。
まずキャプテンはその日に使うルアーを選び、2人のクルーに4本のルアーをそれぞれ流すポジションまで指示すると、フライングブリッジに昇って操縦に専念する。
2人のクルーはルアーをキャプテンの指示通りのロッドから流すと、中年のサドゥはフライングブリッジかツナタワーのトップに昇って魚影を探していた。
ときどきデッキに下りてくるのは、われわれアングラーのご機嫌伺いか、情報を知らせにくる時だけである。

 


ルアーをチェックするバート

 


居眠りはおろか、あくびもせずにルアーを見つめるダナ君
 

なんとも気の毒なのは、長身のハンサム青年ダナ君である。ただ一度たりともフライングブリッジへ足を踏み入れたこともなければ、キャビンのソファに座ったこともなかった。灼熱の太陽が照りつけるデッキの隅のクーラーボックスに終日腰かけて4本のルアーを凝視している。いつも背筋をピンと延ばし、居眠りはおろか、あくびすらしたこともなかった。
ときどきフライングブリッジから「ジュース」、「弁当」などとお声がかかると、機敏な動作でクーラーボックスのなかから取り出し、長身にものをいわせてブリッジに手渡す。
さすがに魚がヒットしたときは「フィッシュオン!!」
とまず最初に大声で叫ぶのが彼である。するとしばらくしてリールがうなる――おそらく魚がルアーに近づく瞬間を、見落していないのだろう。(つづく)。

 
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