“チャレンジしなければ記録は破れない”
“天才とは努力と忍耐のたまものである”――「BLACK BART」はHIATT(Hawaiian Invitational Allison Tuna Tournamentの略で、毎年夏にオアフ島西岸のワイアナエで5日間にわたり熱戦を繰り広げられるキハダ釣り大会。対象魚はキハダを優先するがカジキもOK)での2年連続の優勝によって、このことを見事に実証してみせた。 そう! 2年連続―バート・ミラーの過去の実績を年ごとに辿ってみると、一つの記録を樹立すると必ずその翌年に記録を更新している事に興味を抱かぬわけにはいかない。 ちなみに彼の主な記録を年ごとに列挙してみよう。 1965年 年間85尾のマーリンを釣ってハワイの伝説的名キャプテン、ヘンリ−・チーの70尾の記録を打破。 1966年 年間100尾のマーリンを釣って記録更新。 1967年 HIBT(Hawaiian International Billfish Tournamentの略で毎年夏、ハワイ島コナで開催されるもっとも権威あるトーナメント)でヘンリー・チー賞(最高得点のボートに授与される賞)を獲得。 1972年 年間111尾のマーリンを釣って、またも記録更新。 1973年 HIBTでまたもヘンリー・チー賞を獲得。 1974年 HIATT(前記)に初出場し、劇的な逆転優勝。 1975年 HIATTでまたも優勝。このとき獲得した5,000ポイントという得点記録は、いまなお破られていない。 ここで私はかってバートが話した一言を思い出すのである。 「なにごとも、チャレンジしなければ記録は破れないよ」 まことに当然なことであるが、この言葉と連続している年数の実績にバートの真価を見るのである。 とくに釣りの記録というのは、幸運と偶然によるものが多い。しかしバートは記録を連続させることにおいて、偶然性を否定し、彼の実力を実証している。
巨大マーリンはルアーをガツガツと喰った!
さて次の大記録も“連続2年”のたまものである。 まず1983年、「BLACK BART」は1,265Lb(570kg)という記録的な巨大マーリンを釣りあげた。 ところが、まだその話題も尽きやらぬ翌1984年3月に、世界のアングラーを驚愕させた新記録を成し遂げたのだ……。 それは3月14日のことである。ジョージア州のアトランタ・ファルコン社の社長ランキン・スミスと同じアトランタでスポーツ用品店を営むギャリィ・メーリマンなど4人の釣客を乗せた「BLACK BART」はホノコハウハーバーを揚々と出発した。 1月から4月頃までのコナ沖は小ぶりなストライプトマーリン(マカジキ)が多く、巨大なブルーマーリン(クロカジキ)の魚影はもっとも少ない時期である。
IGFAルールにのっとった世界最大のマーリンに万雷の拍手がこだました
スミスはマーリンが初体験だというメーリマンにファイティングチェアをゆずった。 全員の激励を受けながらメーリマンは必死のファイティング――ハーネスはメーリマンの両肩に深く食い込み、渾身の力で踏んばった両足はマヒしながらも、3時間近く70ポンドに締めたドラグの圧力に耐えて闘った。 コナ沖の白昼の決闘は無線でいち早くコナの町に伝わり、桟橋にはモンスターマーリンを見ようと500人もの見物人が待っていた。 検量の結果はなんと重さ1,656Lb(751kg)、長さ4.96m、胴廻り2.3m。IGFAルールに沿ってロッドとリールで釣りあげたマーリンの世界最大記録になった(※編集部註釈1)。 桟橋からコナの町にこだまする万雷の拍手が鳴りやまなかったことはいうまでもない。 ファーストマーリンで一躍ビッグゲームの英雄にのしあがったメーリマンは語った。 「いままでロングアイランド沖で350ポンドのビッグアイ(メバチマグロ)は釣ったことがあるが、こいつにくらべればトラウト(マス)だね」 そして、取り巻く記者の質問攻めにこう答えた。 「誰かが僕の口にビールを注いでくれたことをほんの少し漠然と記憶しているよ。ただ私はテクニックが未熟なので、マーリンを逃がしてしまうのでは? いや逃げてくれることを願っていたかも知れないね。僕の商売はサバイバル屋だから――。しかし、キャプテン、バート・ミラーが僕とマーリンが闘うのに、いつも最高の状態にボートを操船してくれたからだよ」と。