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The Records of 9 Billfish Species
当時、世界で二人目となった偉大な記録

9ビルフィッシャー
高橋一郎の全記録

インタビュー、構成/早川知加志

 
 
 
スポーツは記録があるから面白い。
例えばプロ野球にスコアブックの膨大な集積と、そこから導き出される数々のデータや記録がなければ、テレビ観戦の面白味は半減どころか90%消え失せてしまうだろう。野村監督だって作戦の立てようがなくて困ってしまう。釣りの分野にも数々の記録がある。中でも、スポーツとして釣りをとらえるIGFAは、ルールに基づく記録認定を活動の根底に据えているだけに、興味深い記録が明確に残されている。だからこそ、メンバーの方にもその記録を破ってやろうという情熱が湧き起こるのである。
IGFAの記録には様々なカテゴリーがある。
まず、釣り味(スポーツ性)の観点で対象魚種を認定する。次に釣り糸(ライン)の強さを2ポンド(1kg)から130ポンド(60kg)まで10クラスに分ける。この組み合わせで、各ラインクラスで釣り上げられた各魚種の中の最も重い魚を世界記録と認定している。
「オールタックル」というカテゴリーもある。
ラインクラスを問わず、各魚種のうちで最大重量を記録したものを指している。最大魚は必ずしも最強のラインクラスで釣られるわけではないので、オールタックルという概念が必要になるわけだ。
また、日本の釣り師にもっと知られてよい記録制度に「IGFAクラブ」というものがある。内容は5つに分かれている。
1,000ポンド・クラブ:魚種毎に、重量1000ポンド以上のサカナを釣ったアングラーが記録される。'99年までの記録では圧倒的にブラックマーリン(シロカジキ)が多く122尾を数えている。続いてブルーフィンツナ(クロマグロ)が41例。ブルーマーリン(クロカジキ)は太平洋と大西洋を合わせても45本と意外に少ない。他はサメ類である。
20対1クラブ:ライン強度に対し、その20倍以上の重量のサカナを釣ったアングラーが記録される。同じ考え方で15対110対15対1と、計4つのクラブ、カテゴリーが設けられている。いずれのクラブもメンバーであることは大変な名誉なわけで、日本の大物釣り師にはぜひ1000 POUND CLUB(サウザンド・パウンド・クラブ)に挑戦して欲しいし、ウルトラライトで記録を狙っているアングラーには「20 TO 1 CLUB(ツェンティ・トゥー・ワン)」入会を目指してもらいたいものだ。
 
※注(1) よく“7マーリン(セブン・マーリン)”という表現を一部のビルフィッシャーの間で耳にするが、正しくはマーリンという呼称は、1. ブルーマーリン(クロカジキ、太平洋産)、2. アトランティック・ブルーマーリン(ニシクロカジキ、大西洋産)、3. ブラックマーリン(シロカジキ)、4. ストライプトマーリン(マカジキ、太平洋産)、5.ホワイトマーリン(ニシマカジキ、大西洋産)の5種類のみに使用される。バショウカジキ(セイルフィッシュ)やメカジキ(ソードフィッシュ)、それにフウライカジキ(スペアフィッシュ)等はマーリンとは呼称されない。
 
 
IGFAのカテゴリーは以上のように、主として重量に係わるものばかりで、例えば※注(1)“7マーリン(セブン・マーリン)”などという言い方があるが、釣魚のバラエティ記録というのははっきりと把んではいないようだ。しかしIGFAが認定している9種のビルフィッシュをすべて釣り上げた最初のアングラーの存在はよく知られている。ドン・マンというアメリカの有名な釣り師である(彼のビッグゲーム・ノウハウについては当ウェブ第3章参照)。
そして、その当時、D.マンただ一人しか成功していなかったこの記録に挑み、ついに1991年10月、当時、世界で二人目の9ビルフィッシュを達成した日本人アングラーがいた。ブルーマーリンクラブ(東京)に所属する高橋一郎。当時41歳の商社マンであった。
丸13年を要した9ビルフィッシュ到達への道程を、高橋氏へのインタビューで追ってみた(その後の彼に続く“9ビルフィッシャー”については当ウェブ第1章の『トップ10アングラーズ』ラス・ヘンズリーの項参照)。
磯釣りからカジキ狙いへ

高校生のときに旅先の三宅島でフエフキダイを釣り、大物(と思った)をあげる楽しみを知った高橋少年は、大学に入ると当然のごとく釣りクラブに入部し、初めはイシダイを狙うが、大学2年以降は遠征釣りに転向し、磯の巨魚を求めて口ノ永良部島など九州の離島に通った。社会人になってからも八重山諸島のベストポイント仲之御神島へは計4回も遠征している。
当時の釣り方は、IGFAルールなど全く関係のない単純な力勝負で、これが滅法おもしろかった。時には180号、150号といった極太の糸を使ってナポレオンフィッシュやクエ、ハタとパワーを競った。あまりのパワーに竿を折られたこともしばしばあったという。
重量級を追いかけていくと最後には「自分の体重より重い魚を」という想いにとらわれるようになる。そしてカジキが視野に入ってくる。

 
より大物を求めて西表島(沖縄県)の南西30kmに位置する絶海の孤島:仲之御神島は各種大型魚の宝庫で、4回も釣行を重ねた。写真は1977年7月、釣友の安倍寛信氏と30kgのナポレオン(メガネモチノウオ)。
 
しかし当時、1970年前後は情報も少なく、カジキは海外のサカナと思われていた。
高橋さんのカジキへの最初のトライアルは1972年、大学4年生の時だった。場所は「南の島ならいるだろうという思い込みだけで選んだ」サイパン島。事前に大した情報集めもせず、磯釣りとふたまたをかけての釣行だったので、カツオばかり釣れ、カジキは空振りに終わった。
1976年に結婚。新婚旅行を兼ね、社会人になってからパラオで最初の海外トローリング。釣果はツムブリばかり。
1978年。トラック島でトローリング。初めてのキハダマグロ約15kgをあげたが、カジキはまたも空振り。
「さすがにこの頃から、磯とのふたまたではダメだ、カジキに専念しようという反省と、カジキも磯釣りと同じで、居るところに行けば釣れるはずだという思いが強まりました」。
高橋さんは大学一年のとき、伊豆や三宅といった近場でイシダイを狙い続けたが1匹も釣れなかった。考え方を変え離島の遠征釣りに転向したとたん、1日に5枚のイシダイを釣ることもできた。「居るところに行かなければ楽しめない」。この貴重な経験をカジキにも当てはめようというわけである。そのためには信頼できる情報がどうしても必要だ。
1st;Sailfish:July 1979, Costa Rica

1978年。高橋さんに大きな転機が訪れた。たまたま入手した米誌「ソルトウォーター・スポーツマン」の78年3月号、その中の広告を読み、アメリカの旅行社へ問い合わせて、コスタリカへの釣行を奨められたのである。夫婦で訪れたコスタリカ北方の、ニカラグアとの国境に近いリゾート「バヒア・ペズ・ベラ」での5日間の釣り。26ftのタワー付きチャーターボートで、高橋さんとしては最初のビルフィッシュであるバショウカジキ(太平洋)を5尾釣ることになった―1尾を残して他はリリースしている。

 
1979年7月、最初のビルフィッシュとなった約130ポンドのセイルフィッシュ(バショウカジキ)。この時既に当地ではリリースするのが当り前(タグは未導入)で、この魚もこの後直ちにリリースされた。
80ポンドのバショウカジキ
剥製の為、唯一ランディングした80ポンドのバショウカジキ。ラインは50ポンドテスト。
  この釣行は他にもワフー(オキサワラ)、シイラ、キハダ、そして「非常に良いひきを楽しめた」ルースターフィッシュを経験するという、実りの多い釣行になった。
初めてのバショウはボラのデッドベイトで釣った。「すごいファイトで、嬉しかったね。ただ、ダイナミックとかど迫力というファイトじゃない。お転婆娘というか、俊敏で華麗な動きがすごく良かった。パワーがなくて、すぐにバテるけどね…」。
1980年に父上が亡くなったこともあり、80年、81年は雌伏の年となった。
2nd;Blue Marlin:June 1982, Hawaii

大阪ゲームフィッシュクラブの結成('81年)に参画した高橋さんは同クラブの企画ツアーで翌82年6月、ハワイを訪れた。
ここで乗ったチャーターボートは<コナ・シーファリー>。キャプテンは1000ポンドオーバーを釣っているトム・ロジャーズで、メイトも腕が良い。
6月27日、高橋さんはこの<コナ・シーファリー>で219ポンド(97kg)のクロカジキをあげた。タックルはボート備え付けのもので、ライブベイトを使用、ファイト時間は7分だった。「やっぱりでかいし、パワーが違うし、全力を使った7分間だった。初めてイシダイを釣ったときのような、体の中からこみ上げてくる感動がありましたよ。亡くなったオヤジも釣りが好きでしたけど、仕事が忙しくて大物釣りがしたくても出来なかった。このときは、オヤジ、やったぜ!という感慨があったなぁ」

 
ファーストマーリンとなった219ポンドのブルーマーリン(クロカジキ)

1985年6月伊豆大島元町沖で釣った27kgのマカジキ(写真左)。新芽カジキのくせに一度もジャンプせず、なかなか弱らないタフな魚であった。
 

3rd;Striped Marlin:June 1985, Ohshima

1984年、高橋さんは転勤で東京へ戻ってきた。そして、ブルーマーリンクラブに入会、会長・高橋義雄氏のボート<ブルーマーリン>に乗り組む。週末はほとんどこのフネで過ごし、主として大島・波浮港をベースに周辺の海域(元町沖、大室出し中心)で釣るようになった。
1985年6月2日。大島・元町のすぐ沖で、27kgのマカジキをランディングする。ラインは80ポンドテストで、バレット・タイプのルアーを使用した。これが高橋さんにとっては3番めのビルフィッシュになった。
86年〜88年はカジキよりも、むしろボートに集中した期間で、100kgほどのブルーを1本あげたくらいだった。

ハワイの奇跡。11日間で10本のビルフィッシュ

高橋さんにとって1989年7月のハワイは、釣り人生最高の11日間になった。
この年、会社の休暇制度が変更され、日数も多く取れるようになったので、ハワイへ行くことに決め、JGFAの岡田副会長(当時)から現地のチャーターボート情報を仕入れた。
「ビッグゲームはアングラーとボートが一体になって初めて成立するものですから、良いチャーターボートは絶対の条件。また、期間を11日と長くとったのは、キャプテンによって考え方や釣り方が大きく違うので、実績のあるボートに何隻か乗り、勉強しようと考えたわけです……」

一流のチャーターボート4隻に乗った結果は別表の通り。計10本のカジキを釣り、大いにビッグゲーム・フィッシングを堪能する11日間となったわけだが、わけてもメカジキ、フウライが釣れたのは強運も味方したとしか言いようがない素晴らしい釣果だった。
このころまで高橋さんは特に“9ビルフィッシュ”を意識してはいない。しかし、“7ビルフィッシュ”という言葉が頭のスミに見え隠れしていたのは事実だ。だからこそ、夜釣りでメカジキを狙ったわけだが、ハワイでも滅多に実績がないこの魚種を釣り上げたのは、やはり強運だったと言えるだろう。

  1989年7月ハワイ島コナ沖での釣果

イリュージョンのキャプテン:ホワン・クロキエラス(左)と同ジェフ・バーミリオンはハワイでのメカジキ釣りの先駆者であり、秀れた技術とプロ意識とを持ち合わせている。
 

4th;Swordfish:July 1989, Hawaii

このハワイへの釣行で2番目にチャーターしたのが<イリュージョン>というボート。36ftのトパーズで、釣らせることでは定評があり、ハワイのチャーターフリートでは料金が高いクラスのボートしても有名だ。
 高橋さんがこの<イリュージョン>を予約したのは、キャプテンの奥さんがレディス30ポンドクラスでメカジキのIGFA世界記録ホルダーだったからだ。ハワイでは当時、他にメカの実績を持つボートはなかった。

1989年7月4日。<イリュージョン>でメカ狙いの夜釣りに出る。
その方法は、タナを変えた3本のラインを中層に降ろすドリフティングである。エサはイカのデッドとライブのちょん掛けで、イカのチャミングを併用する。センターからはダウンリガーを使い130ポンドラインを60フェザム(約100m)、左アウトリガーから80ポンドラインを40フェザム(約70m)、右アウトリガーから50ポンドラインを20フェザム(約35m)、いずれもウエイトをつけて降ろす。同時に、右舷から水中ライトを下し、上に(水面)向けて照射する。集まってくるイカを餌木で釣り、いちばん短い右のラインのライブベイトにする。

 
メカジキ釣りは3本のロッドを使う。センターは60尋の深さにダウンリガーを用いて餌のイカを沈める。

イリュージョンのキャプテン:ホワン・クロキエラス(左)と同ジェフ・バーミリオンはハワイでのメカジキ釣りの先駆者であり、秀れた技術とプロ意識とを持ち合わせている。
  この間、アヒがよく来ていたが、右舷ラインに違うあたりが出る。「引いてみるとぼてっとした感触で、いわゆるザブトンを釣っているというやつでしたが、水面まで持って来てよく見るとツノがある。メカだ!と叫んでメイトがギャフを打った。水面でバシャとひと暴れしたけど、その時はもう遅かった」。このメカは重量72ポンドだった。
メカジキは最後の最後で激しくファイトすることで知られ、恐れられている。高橋さんが持っている記録フィルムを見ても“狂乱”と表現したくなるほどのアクションだ。平たいビル(ブロードビル)が他のビルフィッシュに比べ非常に長く、しかも最後に強烈に暴れるので“船通し”とも呼ばれるし、釣り人がツノで刺され死んだりする事故が多く起きるのもメカジキなのだ。高橋さんのメカは珍しいほどあっけないファイトだったわけだ。

記録用紙。写真撮影時に魚体に貼付ける。右端は発信器付タグを打った推定400ポンドのクロカジキのもの。
 
発信器付タグ。これにより魚の体温、遊泳速度、方向、水深、水温が判る。
 
PGRF及びNGRFにより、発信器を付けられたカジキを追跡する調査船HEOLA号。2つのソナーと数台のコンピューターを使い、発信器のバッテリー寿命の7日間追跡調査する。
5th;Spearfish:July 1989, Hawaii

「狙って獲ったのがメカジキだとすれば、狙っても獲れないのがフウライです。それが来てしまったんですね……」。
この釣行3度めのチャーターボート<オメガ>に乗った7月8日、「サワラのような感じで」フウライカジキが釣れた。「一直線に寄せられる簡単な釣りで、感激も何もありません」。しかしその一瞬、あっ、これで5種類だ、あと2つで7ビルフィッシュだ、と思ったのも事実だった。そこで出てきたのは、まず狙いやすいブラック(シロカジキ)から、そして“ブラックならオーストラリアだ”という少々焦りに似た「単純な思考」。

 
チャーター費用の安いオメガ(キャプテンはドイツ人:クラウス氏)で27ポンドのスピアフィッシュ(フウライカジキ)を釣る。
 
サラリーマンとしては多々の無理をして、90年4月末、オーストラリアのタンガルーマ・アイランド・リゾートへ飛んだ。予約チャーターしたのは定評ある<カマリ>と<バーバリアン>だったが、ブルーとマカは獲ったものの、ブラックは1本バラしただけで終わった。
 
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