また、『The Game Fishes of the World』(1913年出版)の中で、ホルダーは「ツナは、確かに私が183ポンドのものを釣り上げる以前にも捕えられていて、W・グリアー・キャンベルの名が知られているが、ただし彼のはあまり大きくなかった」と述べている。
このように、文献によりまちまちなことが述べられていては困惑するばかりだが、ここに最も中立な立場で書き記してくれたであろうホレース・アネスレイ・バッケルの一文を紹介してみよう。カタリナ・ツナ・クラブの発足当時のオフィサーの一人であった彼は、ホルダーやモアハウス、それにキャンベルとも懇意であった。彼は『Pall Mall』誌の1898年11月号に、『Tuna Fishing in the Pacific』というタイトルの記事を載せ、その中で「1896年にパサデナのモアハウスによってロッド&リール、それにターポン・ラインを駆使して釣り上げられたファースト・ツナは上がった時には既に死んでいた」と報告している。
1898年6月2日の『Pasadena Daily News』ではホルダー自身によって提供されたインフォメーションに基づいて、ホルダーの釣りに関する記事が掲載された。それは「3時間45分という長時間に渡ってねばり強く大物のブルーフィンとファイトを続けた」「教授はアングリング界における過去のあらゆる収穫をしのいだ」等のホルダーを称える記事で埋められた。 |